なんだ弁当が出るんだったか

気づかい、心遣い

仕事となると御客様に対してはいつも目配り、気配りをしながら乗り込まれた後部座席でどんな仕草をされるのか、ちょっとした物音や 息遣いにも耳をすまし御客様が何を思い、何を感じているか、背中でそのすべてを知ろうと全神経を集中させてハンドルを握る。

ハイヤー乗務員なら、こういう見えない対応を毎日の業務でこなしているわけです。ですから、気を使うために疲れます。

ところが、営業所に戻ると気持ちは一変、会社の同僚、すなわち、同じ乗務員同士には
内輪の人という意識が働いてしまうのか、
気配りどころか、結構無頓着になってしまいます。
それを痛感したことが先日起きました。

仕事よりメシの心配

久しぶりに台数口の仕事が舞い込んできて
営業所内にいる10人ほどに配車されました。

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一日のスケジュールが記載された紙が配られて目を通すと、昼は一旦営業所に戻って待機するようになっていました。

職業柄、一日の流れが把握できた時には
頭の中で、昼食を取る時間や休憩をいつとるかなど、だいたい決めてしまいます。

この日は昼間営業所にもどるんだからお昼はどこか近くの店に足をのばそう・・・
出庫しがてらまだ行ってない店があるか
無意識にチェックしている・・・
仕事よりもメシの心配りです。

午前中の仕事をそつなくこなして営業所に戻ると
「今日は依頼者から昼がでるという話だぞ」
同じ台数口の配車を受けた同僚からそんな情報を私は聞きつけました。

でもこれは横横の話だったので半信半疑でしたが、弁当が出るんだったらもらっておくし、もし、出なかったら外で食べよう・・・

こんな軽い気持ちで配車デスクの方へ足を向け
「今日の台数口は弁当が出るんですかね?」
と聞いてみたら
「ほれ、そこにあるから持って行って」
と、そばにおいてあった段ボールをあごで指しました。

――――これは、またありがたい

弁当の中身が何であれ、昼代がその分浮くので、出されることに私の気持ちはほっこり

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なんだ弁当が出るんだったか・・

ところが、
運転手控室でもらった弁当を広げて食べ始めていたら、ある乗務員さんが入ってきて

「なんだ、弁当が出るんだったのか・・・」
彼の手には近くのコンビニで買ってきたらしい弁当と飲料水が入った白いビニール袋を手にさげていました。

弁当をほおばる数人の乗務員は一瞬食べる手が止まったかのようにも見えましたが、弁当の支給を受けなかった彼の言葉にどう返事をしてよいものかわからず、そのまま、黙々と口を動かしていました。

もちろんその中に私もおりました。
近くにいた同僚が

「今日の台数口は弁当が出るんじゃなかったんですか?」
「えつ? そんなの聞いてないよ
なんだ、出るんだったら出るといってくれてもいいのに・・」

彼の胸の内は相当腹を立てているようでしたね。
私は内心
―――他の人は弁当が出るという情報を聞きつけているのに、どうしてこの人だけわからなかったのだろう

私もたまたま弁当情報をキャッチしたからよかったものの、そうじゃなければこの人の二の舞を食う羽目になっていたな・・・
こうつぶやいていました

この乗務員さんは既に買ってきてしまった弁当があるために、ここであえて腰をあげて事務所に弁当を取りに行くという気持ちにはなれなかったらしく

「どうせ、今いったって、きっと余った弁当は処分されているよ、きっと・・・」
近くに座っていた同僚にそんなトーンの下がったあきらめの言葉を吐くと
自分の買ってきた弁当を広げて食べ出しました。

私は比較的近くに陣取っていましたが
とっさに同情の言葉を探してみてもみつかりません。

この瞬間から私の食べている弁当の味が変わるのを感じました。

誰が悪いのか

いったいこの出来事、誰が悪いのか

これは配車デスク側の配慮のなさが露出した「事件」とみるのか
それとも、他の乗務員はわかっていたことなのに、この乗務員だけが知り得なかった「KY」ぶり、すなわち、空気の読めない機転のきかない無能さのせいだと片づけてしまうのか・・・
評価は分かれるでしょう。

でも
私は事務所や本人を責める以上に起きてしまった結果に対して、同じ「仲間」としてのアクションが取れなかったことが問題だった・・

特に「私」のとった態度を反省したのです。
人は無意識に起こす態度にこそ日頃の生活姿勢のすべてが凝縮して露出するといいます。

―――せめて、暖かい言葉でもかけられたら・・・
自分の中に
「俺には関係ない」といわんばかりに
無意識に、まるで対岸の火事を涼しげに眺める野次馬のような態度を取ってしまったことが情けない・・

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こんなことは日常茶飯事、よくあることだといいます。

そんなこといちいち気にしてたらやっていけん!
しかし
ちょっとした心遣いがあれば社内を明るく、そして潤いある人間関係づくりができますし
そういう周りの人への暖かい配慮をいつも持ち合わせていれば別に御客だ、同僚だ、家族だといった区別を作る必要もなく自然体で対応できるはず・・・

そして、後に自分がもしも窮地に陥った時には、巡り巡って助けられることだってあることを知っているのに・・・です。

一時が万事を表す

というのなら、人間性においてまだまだ修行が足りん・・ですよ。

あなたなら
きっと私のようにはしなかったでしょうね。


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