目 次
せめて「ドライバー」と呼んでほしい
私は今「運転手」という肩書なんですが、
実は「運転手」という響きはどうも気に入らない
ドライバーといってほしい、時折そんな気持ちになります。
皆さんはいかがでしょうか?
さらに言うなら、
「運転手さん」「ドライバーさん」と相手は我々に気遣って「さん」付けするのですが、実はそれも気に食わない。
自分にはきちんと名前があるので
「私の名前」で呼んでほしい・・・これが本音です。
「運転手さん」と言われて
どんなお客様にも車に乗り込んできたときに
「○○交通の○○がお供させていただきます」
と挨拶をしますよね。
お客様の中には、「よろしくお願いします」ときちんと返事をして下さる人もいます。
でも途中、何か指示をされるときは「運転手さん」となり、最初に私がわざわざ自分の名前を明かしたのにも関わらず、そう呼ぶんです。
ハイヤーの場合、何度も利用され、顔馴染みになるお客様が出てきますが、いっこうに名前を憶えてもらえず、「運転手さん」と呼ばれると
俺ってそんなに存在感がないのか・・
割り切って考えるようにしているんですが、残念でなりません。
なぜ、あえて「運転手さん」と呼ぶのか
「運転手さん」という呼び方は、たしかに差し障りがなく、初対面でも失礼になりません。
実際自分もタクシーを利用すれば、タクシーには助手席側ダッシュボードの上のところに乗務員証が掲示してあって、運転手の名前と顔写真が確認しやすくなっています。
特に同じ業界で働くので、何となくそこに目がいくのですが、そこではっきりと名前が判明しても、やっぱり口をついて出てくるのは、「運転手さん」です。
だいたい、名前で呼び合う関係というのは、かなり近い関係となった時ですから、むやみに自分と相手の距離を縮めないために、あえて「運転手さん」と呼ぶのかもしれません
外国映画なんかを見ると、よく自分の紹介をした後、「○○と呼んでくれ」と覚えやすく呼びやすいニックネーム的な名前を紹介している場面をよく見ます。
ああいう自己アピールは日本人は苦手。
だから、もしも乗り込んできた女性から親しげに
「ハイヤーマンさん」と名前を呼ばれたりしたら、
思わず「どきっ」としてしまうかも・・・。
お互いの距離をあまり近づけない、警戒心を解かないためにも、職責で呼ぶのが結局「無難」だという結論になってしまうのでしょうか。
私の名前を呼んだお客様
実は先日、そんな私の気持ちを察して下さった?お客さまがいて
思わず小さな感動を覚えてしまいました。
それは、ある有名な小説家が乗車されるというので、ホテル車寄せで待機している時でした。
先着時間10分前にロマンスグレーの紳士が現れ
「これは○○先生の車ですか?」
「はい」
「ああ、ハイヤーマンさんですね」
私の名前をはっきりと告げて確認されました。
こういうお客様は滅多におりません。
いったい何者か? 私の名前をダイレクトで呼んでくるなんて・・・
要人を迎える際には、事前に車番と運転手の名前が相手側に伝わっています。
でも一般に、車は確認しても、運転手まで確認することはほとんどありません。
普段もてなす側が我々ですが、
こうして名前を呼ばれてみると、自分の方がなにかもてなされているような気持になって、うれしいやら気恥ずかしいやら、この日は何とも複雑な気持ちを味わいました。
「定刻通り出てこられる予定ですので、よろしくお願いします。」
そういうと再びホテルの中に入っていかれました
その紳士の言葉が余韻となって私の心に広がります。
自分が認められたような感覚
馬鹿じゃないの
ちょっとおおげさじゃないの といわれそうですが
この自分の名前を告げられることが、そのお客様の「私」に対する配慮、人間として扱われていると感じたのです。
ハイヤー運転手は「黒衣(くろこ)」
タクシー運転手は自己主張が結構できるのではないでしょうか。
自分の考えをいったり、時には人生相談に乗ったり、自分の個性を前面に出そうと思えばいくらでもできます。
それは一期一会、お客様が降車されれば、もう二度と出会うことがないということから、その後の責任が問われない立場だからでしょう。
ところがハイヤー運転手は、お得意様 上客があって、その日限りのお付き合いで終わらないケースが多いため、不快感を相手に与えてしまえば、継続して利用されなくなり、これでは商売になりません。ですから運転手が自己主張するなんてもってのほか
黒衣(くろこ)に徹さなければならないのですね。
だいたいサービス業に従事する人は
お客様が心地よさを感じ、満足していただくために尽力してなんぼの世界
黒衣はどこまでも黒衣であり、名前なんてありません
黒衣自身の満足は関係ありません。そんなことは百も承知です。
ただし、本当に人格的なお客様は、そんな黒衣に対しても一人の人間として心を使おうとします。それも自然に・・・
まるで、そうすることによって、もっと上質のサービスを得られることを知っているようです。
ハイヤー運転手も一人の人間
そうなんです。
我々も人間
大切にされると、より以上お客様を大切にしようとする心が働くのですね。
中には心づけとしていくらかのチップを下さる人がおります。
でも私はそういう人に感謝はしますが、果たして人間扱いする動機で下さったのか、ちょっと首をかしげてしまうことも多いのです。
悪い言い方をすれば、サーカスやショーで、うまくやった動物たちに餌を与えるような感覚
私のいう「人間扱い」とは、お客様と「私」の間にフラットな関係を成立させたときを言っているのです。
ちょっと変わった感覚でしょうか?
きっと皆さんからは
我々はこれが仕事。能書きはそのくらいにして
それで実際いくらもらったの? そっちのほうが重要でしょ
という声がきこえてきそうなので、このへんで辞めにしておきます。
その後の展開と結末
メインのお客様をエスコーとして現れたその紳士は、運転席の後ろの席に陣取や否や、小説家とのやり取りがすぐに始まりました。
その時の私はハンドルを握りしめ前方をしっかり見ようと努めるのですが、耳までは言うことをきかすことができません。完全に後ろに向いていました。
会話の内容からして。この紳士はどうも出版社の編集長クラスの人
目的地に着くまでのわずか20分程度の間、小説家から原稿の依頼や
ある作品の版権を取り付けるために勝負をかけていたのです。
ははあ なるほど
車や運転手の確認も、そうした段取りの中に組み入れられた、勝負の場を整えるためのものであったんだろう
私の勝手な推測でしかありませんが、変に自分は納得してしまいました。
こういうケースでは降車時チップなんぞ出るはずはありません。
案の定、目的地に到着すると、歓迎する数人の人が出迎え
その編集長さん?は私に「ありがとう」という視線を投げると
すぐに、小説家とともにビルの中に消えていきました。
ドラマはそこで終わりました。
やれやれ・・・
これはこれは大変失礼したようです。人の見方は様々。しかし一側面だけを見て「こうだ」と決めつけてしまうようなことはないように気を付けているつもりなんですが。
タクシーが一期一会だから好きなこと言えるみたいなこと書いてると伝わりました。
あなたこそ、勘違い野郎です。
あなたのブロクを勉強になると思い、ジックリと読ましていただいていましたが、単なる勘違い野郎でしたね。