お世話になった先輩ドライバーの追憶

コンコン

スマホを見つめていた私は
運転席ドアを外からノックする音でハッとして振り向くと
窓越しになじみの顔がこちらをのぞき込んでいました。

パワーウインドウを開けるや、

「はい、これ」

と差し出された缶コーヒー

「いつもすみません・・」とあわててドアを開けてぺこりと挨拶をしました。

大手ハイヤー会社所属のベテランドライバー

出先でよく顔を合わす先輩ドライバーがいます。

大手四社に勤務し、すでに定年は過ぎているのですが
嘱託としてハンドルを握っていて、何度か仕事で顔を合わすうちに親交が深まりました。

年齢は私より一回り上かもしれません。

5年ほどタクシー乗務を経てハイヤーに転籍し、その後20年以上ハンドルを握ってきた大ベテランの先輩です。

ゴルフ仕事の時なども、私が駐車スペースに車を格納してから、そのままうたた寝をしていると、
例のごとくドアガラスを叩く音で起こされたことが何度かありました。

「これ食べなよ。

朝早くて近くのコンビニに行ったんで、ついでに買ってきた。」と言いながら

まるで自分の息子でも見るような優しい眼差しで買ってきた弁当を渡してくれるのです。

いつだったか家の畑で取れたと言って、芋をくれたこともありました。

こんな調子でいつも何かしら与えようとされるので、こちらもただもらってばかりでは申し訳ないと、お返しに自販機で缶コーヒーを買って待機中の先輩に「これお礼です。」と差し出すのです。

すると

「悪いね、ご馳走様・・」

いつも素直に受け取って下さる。

それがなんとも自然体で、変な先輩風を吹かすこともないのです。

つねに腰が低く、周囲への気遣いもある人柄のためか、同僚からも慕われているようでした。

さすがにITには弱かった

60代以上の年代となると、仕事の面においては経験の積み重ねで安定感が増して良いのですが、社会の変化についていくのには苦労します。

例えば電話一つとっても、かつてはダイヤル式の黒電話の時代がありました。そこからプッシュホンにかわり、ポケットベルの登場、そしてPHS携帯を経てガラケーになる。

さらに2000年代に入ってインターネットが爆発的に普及し、2010年代からはスマートフォン時代へと大きく変わっていきました。

新しい技術が導入され、扱う機械が変わっていく度に、その使い方をマスターするのに結構な時間を要します。

スマホの登場 によって、今やあらゆる情報や人とのやり取りを手のひらの中で完結できるようになると、使い勝手は確かにいいかもしれませんが、とかく頭が固くなるおじさん連中は、文字が小さいだの、タッチがうまくいかないだのと、ぶつぶつと文句を垂れるようになるのです。

近年のSNSを使ったコミュニケーションが盛り上がりを見せていますが、さすがにここまで変化が激しいと逆に開き直って、なんとかついていこうとして頑張るのはやめて、電話と地図アプリと交通情報の見方だけ覚えて、あとは若いもんに任せればよいのじゃ・・・と、関知しなくなりますね。

いちいちメールなんか打ってられるか。電話して話した方がはやいじゃないか・・・

この先輩も多分に漏れずスマホの扱いには苦戦していて、時折、ちょっと教えてくれといって、聞かれたこともありました。

いつの間にか会う機会がなくなった

いつだったか畑でとれた芋を送るから住所を教えてと言われたことがあって、その時に先輩の住んでいるところがわかるようになりました。

年始にはお世話になったと年賀状を出していましたが、コロナのせいで徐々に仕事が減ってきたのか、会う機会がなくなって

しばらく見ない先輩をふと思い出しLINEで安否を尋ねたのですが、とうとう既読がつかなくなってしまいました。

 

きっと先輩のことだから、毎日野良仕事に出かけ、炎天下に麦わら帽子でもかぶってトラクターにまたがっているのだろう。時折休憩時には青い空を眺めて、一人タバコの煙をくゆらせているに違いないのです。

真っ黒に日焼けした顔から白い歯がこぼれ見える先輩の姿を思い出して

こういう人生の幕引きもあるのだな・・・

 

さて、自分の場合はどうするか 思わず考えてしまいました。

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