お客様を通して考させられた私の人生

お客様を通して考させられた私の人生

ハイヤー乗務員や役員運転手は、社会のトップ層にいる、いわゆる社会に影響力のある人たちと接点を持つことが可能な職業のひとつです。

たとえば、永田町界隈にある官公庁、議員会館、また高級ホテル、料亭といった一般庶民があまり利用しない場所に、お客様と同伴して出入りすることができますし、

社用車となると、車内がちょっとした執務室になり、会社を動かす経営的な話や、億単位の金額の飛び交う話などが聞こえてくることもよくあって、同じ空気を共有しながら異次元世界を体験できるというのがこの仕事の特徴であり、貴重な体験をさせていただく機会が多いものです。

そのため、ややもすると自分も庶民感覚をなくしてしまうことにもなりかねませんが、この仕事の醍醐味は、まさにそういうところにあるのです。

そんな環境の中で、今回一人のお客様を通し、改めて私自身の人生を振り返ざるをえない経験をしましたのでお伝えすることにします。

昨年10月ごろでした。

かれこれ5年ほどのお付き合いある上場企業役員の方が、海外出張から戻られると、その足で大手町のビル群の中にあるクリニックで人間ドックに入られました。

その後、今後の健康管理のためにクリニックの会員になったと自慢げに話しをされていたのです。

ところが、11月になって急遽、築地にある国立がん研究センターに夫人同伴で送迎するように指示されました。

ここまで説明すれば、このお客様に何が起こったのか、もう察しがつくと思います。

普段車に乗り込むや挨拶以外にも一言二言フレンドリーに言葉を交わされる方でしたが、
この時から、どことなく神妙な面持ちに変わり、言葉数も少なくなりました。

ねぎらう言葉が見つからない

どうされましたか? 大丈夫ですか?  私はそのように伺いたい気持ちを抑え、ずっと黙ったままハンドルを握り続けました。

その後何度か病院の送迎を指示されてお供する中で、ある時、どなたかとの電話でのやり取りをされる中、

「肝臓がん」
肺にも転移している

運転席にいる私の耳にはっきり届いたのでした。

私は衝撃を受けました。歳が私より2、3歳上でほぼ同年代。他人事でなかったからです。

50代以上の方なら、親や兄弟が病気を患ったり、亡くなった方もおられるかと思います。

私の周りでも二人ほど、伴侶をがんで亡くした人がいます。

その訃報を聞かされた時に、発病から亡くなるまでの間、どのような闘病生活を強いられたのか、付き添った人の気持ちなど、詳細まで知る由もなく
「どれほど大変でしたか・・心からお悔やみ申し上げます」といった挨拶の言葉をかけるしかないというのが常です。

がんに対する対応の変化

「がん」という病気は、かつて死を宣告されたと同様のインパクトがあり、本人に告知しない場合も多かった時代がありました。

しかし、今や日本では二人に一人ががんになる時代です。
すでに多くの場合、本人に直接がんになったことを伝え、治療方法などを検討し、臨戦態勢に入る

がん宣告を受けた患者の方も、担当医以外の医師から、いわゆるセカンドオピニオンとして意見を聞くことも当たり前に行われるようになっていました。

また、ネットで調べれば、自分の病状がどの程度のものか比較的容易に知ることもできるし、見事にがんを克服し元気に社会復帰している例も数多くあるのです。時代は変わりました。

それでも、いざ自分が「がん」と宣告されたらどれほど衝撃を受けるでしょうか。

各部位のステージによって生存率がわかる

肝臓は物をいわなぬ臓器と言われており、はっきりと症状として現れた段階になると、すでにかなり病気が進行しているとのこと.

こうなると、ネガティブな考えが頭の中を駆け巡るであろうことは想像に難くありません。

がんセンターでは、血液検査と錠剤の抗がん剤の服用を進められ、そのほかにも知り合いの紹介を通して別の治療法を施すため、2か所の病院に通院を始めました。

こうした治療方針が決まるまでに要した時間は約2か月半で、ようやく方向性が決まったことで一時の安堵を得たためか

年明けにお客様は、

実は、がんと分かってから最初の1か月の間、やっかいな部位にがんができてしまった・・と精神的に大変だったことを明かして下さいました。

経営陣であるため、おちおちゆっくり治療に専念できない

おりしもコロナ感染拡大騒動と重なり、緊急事態宣言が出たことで在宅勤務に移行し、リモートワークに切り替わったのですが、お客様は、家にいると気が滅入るということで、わざわざ会社に足を運び、執務室で業務を行っていました。

仕事をしているときだけは、唯一自分が病気であることを忘れて没頭できるのだそうです。

自粛期間にも毎日のごとく会社と病院に通いました。
もちろん私もそのすべてに同行しました。

最後は自分自身と向き合うようになる

命には限りがあることを知りつつも、今健康体であれば、別段生きていることを意識したり悩むことはほぼありません

しかし、

ひとたび自分の近い人に何か命に係わる健康問題などが生じた時には、同時に自分にもしものことがあったらどうするか考えるようになります。

ましてや「がん」と宣告された場合、ステージによってあとどの程度生きられるのかはっきりしてくるために、

今まで生きてきた人生を振り返り、これから残された時間の中で何をすべきか、とどのつまり、最後は自分と向き合うようになる。

そして、そばに寄り添って介護してくれる存在は、長年連れ添った伴侶であること。

そんな現実となることをこのお客様を通して目の当たりにしたのです。

ガン友がいた

どんなに優秀な人であっても、どんなに財産を所有していても、ここまで来るとまったく関係なくなる。

本人の抱える病気の苦しみや痛みは本人でしかわからず、それを共有し慰めてあげることさえできません。だから、慰労する言葉が見つからなくなるのです。

ある時車内でひさしぶりに長電話しながら談笑しているのです。病気の発症以来、外部の人とのやりとりでそのような姿を見せたことがなかったため、私が不思議そうな顔をしたのでしょう。

自宅前に着いてドアサービスをすると、降車する際に、「ガン友だよ」と、にこりと笑み浮かべ、マンションのエントランスにゆっくりとした足取りで吸い込まれていきました。

私はその姿をずっと目で追いながら思いました。

がんをわずらっても、職場では普段とかわらず上司として部下を指導し仕事を進めていく。しかし、同じ境遇にある人でなければ、もう心を割って話すことができなくなっているんだな・・・

家に帰っても夜になると孤独感で押しつぶされそうになり、眠れない日々が続く・・・

睡眠薬が切れたので病院に行ってほしいと頼まれたこともありました。

人生の終わりを迎えるカウントダウンが始まると、とたんに人生は短く感じるようになるのです。

貴重な時間を浪費したくない
やりたいことがあるのなら 全力でそれをやるべきだ!

現実を無視することはできませんが、お客様を通して改めて「生きること」「命について」深く考えさせられました。

その後の経過

私はそれでもお客様の状態を楽観視していたのですが、状況はまったくの真逆でした。

5月の終わり、黄疸と衰弱が激しくなったことで、入院すべきかの選択をせまられたそうです。

このコロナの影響で、もしも入院した場合、女優の岡江久美子さんと同じように、ご本人の様態が急変しても親族は面会はもちろんのこと、亡くなったあと葬儀が終了しお骨となるまで直接対することができなくなるというのです。

そのため、自宅にて治療を受けることになりましたが、その後まもなくして家族全員が見守る中、寝室で静かに息をひきとられました。

発病してわずか半年でした。

 

会社に多大な貢献をされた方だっただけに、惜しまれた中で旅立たれました。

企業戦士として、亡くなる直前まで業務をこなしながら・・・

本来なら盛大な社葬を準備するはずでしたが、ここでもコロナの影響は影を落とし、主要役員の方と関係者のみ集まった中で
ひっそりと葬儀が執り行われました。

 

ご冥福をお祈りする意味で記事にいたしました

読者皆様、最後までお読みいただきありがとうございます。

 

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