お世話になった先輩乗務員の退職

お世話になった先輩乗務員の退職

先日お世話になった先輩乗務員が定年で会社を去りました。
長い間役員付運転手として出向していたのですが
年齢が65になって、出向先から戻り、
当初はそのまま嘱託として、アルバイト的に車庫番をするといっていました。

その後しばらくして、営業所でどうも姿が見えないことから、デスクに聞いてみると、
「やめましたよ」
と、そっけない返事が返ってきました。
えっ、そうなんだ・・・

ハイヤー乗務員は、事故や違反がなく、健康にさえ問題がなければ
定年後も引き続き仕事ができます。
年金生活をするといっても、家でじっとしているよりも
何かのお役に立ちたいと、必要な時だけスポットでお手伝いするといった
柔軟な働き方が可能な会社もあるのです。

特にテレビ局や空港関係者の宅送、新聞社の報道ハイヤーなどは
深夜まで及び、人手が足りないこともあって、
会社も低賃金で都合の良い時に応援してもらえますから
双方にメリットがあるのですね。

会社を去った本当の理由は?

さて、
あとで電話をしてみると
それが紛れもない事実であることがわかりました。
「そうなんだよ。
一応営業所に戻って一週間ほど車庫番をやってみたけど
やっぱり駄目だね。仕事のリズムも違うし・・・
なんか落ち着かなくてさ、外で楽してきた分、体もきついし、
辞めることにしたんだよ。」
確かに環境の変化は年齢的にきつかったのかもしれません。
でもそれだけではないような気がしました。

そもそも、長く出向していると
営業所の雰囲気は自分がいた時とは大きく変わっていたりするものです。
また、同期の乗務員や、顔見知りの気の合う仲間たちも、
それぞれ、外に出たりして、今いる人で心許せるような人がいないと
仕事自体のきつさ以上に、自分の会社なのに、他人行儀で気を遣わなければらないということで、なんとなく居ずらい
しかも、わからないことは自分よりずっと年下の、いかにも新人のような人に聞かなければならず、プライドある人ならば、仕事以上に精神的に厳しい環境となりかねないのです。

現にその先輩は気骨ある「運転手さん」でしたからなおさらでしょう。
今更、そういう心の負担を負ってまで仕事にしがみつく必要があるんか?
どうせ見たこともないような人に囲まれて仕事をするのなら
いっそ他社に移って自分の過去を知らない連中と気楽に仕事をしたほうがましかも・・・
あれこれと考えたはずです。

あんた まだ若いね

「あんたはいくつになるんだ?」
「50の大台に乗りました・・・」
「なんだあ、まだ若いな・・・まだあと15年は働けるね
奥さんやお子さんのためにも頑張らなくちゃね」
「はい」

そう返事をした私の脳裏に、妻や子供たちの顔が一瞬よぎりました。
50代で若いといわれるなんて、なんとも不思議な感覚になります。
先輩はそんな訓示にも似た言葉を最後に、
「連絡してくれてありがとうね。」
といって電話を切りました。

定年までどうするのか

お前はいいよな、あと15年はゆうに働けるじゃないか・・・
その言葉が耳にこだまし
私はふと、自分の今後を考えました。
私の5年後は、10年後は
そして定年を迎えた時は・・・
頭の中でいろいろと自分の未来の姿を想像しようと試みても
イメージがわいてきません。

本来
私と同じような年代、すなわち
50代では、夢を語り合うよりも、夢をどの程度現実にし、実績にしたかを誇らなければならない年ですよ。
そして、人生の総まとめ、仕上げをしていく60代に入っていくのです。
でも一方では、寿命が延びることによって
昔40代でやるべきことが50代に
そして50でなすべきことを60でと
10年ずつずれてきている・・という話を聞きます。

年齢じゃない、気持ちだよ
気持ちこそ若くなきゃあね

確かに、自分の口から「もう歳だからさ」
という言葉だけは使いたくないと思っているんですね。
この言葉を吐いたが最後、自分を老人だと認定したことになる
私にも夢があり、目標があります。
みなさんだってそうでしょう?
それは、まだ「若い」証拠じゃないですか。

ただ、そんな夢や目標も、かつてのように大ぴらに公表せずに、
胸の内でひっそりと温めながら、コツコツと行動に移して、
ある時それを実現させて周りをあっと言わせてみたい・・・
そんな願望をもっています。

定年まであと15年・・・

先輩乗務員の退職をきっかけに、私の心の中に投げ入れらたこの言葉が
今小さな波紋となって
その広がりがだんだんと大きくなりつつあります。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です