「あなたは運転がうまいね」と褒められた話をします

みなさんはお客様に運転をほめられたことがありますか?

私はかつて一度だけ、
「あなたは運転がうまいね」
と言われたことがあります。

定期送迎の仕事で

お褒めの言葉を下さった人は、いつも利用されているお客様でした。

ただし、私にとっては初めての経験です。

会社からご自宅送りという、いわゆる「定期送迎」の仕事でした。
指定された場所に車をつけて表でお客様の出てくるのを待っていたら
役員らしき人に連れられて登場したその方はもう80を越えていそうな、会社の創業者らしい出で立ちでした。

「●●様ですか? 毎度ありがとうございます。」
と乗車される時に確認したところ
「あんたは初めてか」
このように切り出してこられました。

ゆっくりと乗り込んでこられたお客さまに、一通りの挨拶をすると
「家はわかってるの?」
と、御老人特有のつっけんどんな言い方。
「ハイ、調べてまいりました。」

車を発信させて大通りをしばらく走っていたら
「ラジオをつけて、NHKね」
このように指示されました。

定期送迎の仕事の特徴

そういえば、ハイヤー駆け出しのころ組合の先輩が
出発前の車の点検時には温度調節、ラジオはNHK第一、ハイヤー―名刺・・・きちんと準備すること。これ基本だよ。

今はスマホの時代。NHKラジオをつけろなんて言う人はほとんどいません。
そんなことを思い出していました。

定期送迎の仕事では、お客様が運転手を指定しない限り、いろいろな運転手が入れかわり立ちかわり送られてくるわけで、お客様の中には経路が比較的単純であり、しかもお客様がやわらかい人であると、会社は、入社して経験の浅い新人たちを次から次へと送り込むのでした。

あまりにも新人を送り込んでくるので、うちはあんたがたの新人用の実験台か?なんてクレームを入れる人がいましたが・・・

さて、
車を走らせながらラジオのスイッチを入れるのですが、丁度乗った車がゼロクラウンで、車内装備に関しては勝手がわかっていたため、卒なくラジオのスイッチを入れることができました。

「ちょっとあったかくして」
また指示されました。
そして、
「あんたは運転何年になる?」
という質問を最後にその後はじっと黙って座っておられました。

私はこの手のお客様は、きっと多くの運転手を見てきているだろうと感じて、よし、今日は徹底して丁寧な運転に努めよう・・
そんな思いからアクセルワーク、ブレーキ、車線変更などいわゆるハイヤーらしい運転を最大限に心掛けて走行したのです。

たまたま乗り合わせたゼロクラウンは年式は古かったものの、アクセルやブレーキが足にしっくりなじんでくれていたのが幸いでした。

自宅はすでにスマホで確認済み。ただし、最後の路地に入っていくところで、結構複雑な経路を通ることになり、そこが一抹の不安ではありました。

老婆心

自分でも、今日はなかなかいい運転をしていると内心思っていたのですが、路地に入ったところ、ナビが見づらくなり、右折する四つ角を一つ間違えてハンドルを右にきろうとするや後ろから、すかさず声が飛んできました。

「そこじゃないよ! 一つ先だ!」
「かしこまりましたっ!」

素直に聞き従う姿勢をみせながら言われた通りの場所で右折をしました。

後はもう教えられなくてもわかると思っていたのですが、一旦こいつ、わかっていないなとお客様から思われてしまいますと大体そこから、親切に教え出す人がほとんどです。

「あそこに見える次の信号を左ね」
「ハイ、かしこまりました」

知ってますよ!と私の心は叫んでいます。
しかし、ここでお客様の気持ちを逆なでする必要はないわけで、知ってても、こんな時は「ありがとうございます」というべきですよね。

老婆心からか、ご年配の方特有の、よく言えば面倒見のよさ、悪く言えば、余計なおせっかい…

目の前にストリートビューで事前にチェックした家が見えてきました。
それでも、うしろからからは最後までご丁寧に教えて下さる声がします。きっと若造の私を孫でも見るような目で見ていたに違いありません。なんとなく、あやされている感覚

そして到着

「少々お待ちください。ただいまドアをお明け致します。」
手荷物があったこともあり、きちんとドアサービスを受けてくださいました。

そして、ここでお褒めの言葉が飛び出したのです。

あなた運転がうまいね

意外なお言葉に驚きました。

もしあなたがこの場に居合わせたらなんと答えます?
ありがとうございます・・といいますか?
それとも、トンデモない、と謙遜して答えますか?

帰りがけ、営業所に向かう道すがら私は考えました。

これはきっと車内での会話のやり取りをする中で、それがたまたまお客様のフィーリングにあったのだろう。好みに合っただけであってアクセルだのブレーキだの、そういったいわゆる運転技術そのものがうまくてほめたのではないということを感じました。

お客様の五感を、お好み通り、心地よく刺激する、そんなおもてなしができた時に、思わず口から「うまい」「上手だ」というお褒めの言葉が飛び出してきます。
そして、それはきっと万人共通しているのではないでしょうか。

心地よさの提供こそ、すなわち、ハイヤーにとっての「上手な運転」となり、そこには運転技術、接客などのすべての要素が複合的に含まれているのですね。これこそ「ハイヤーらしい仕事」だと言えるのでしょう。

あの時、私はお客様のお褒めの言葉に
素直に「ありがとうございます」と答えていました。
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